千葉地方裁判所 昭和45年(行ウ)5号 判決 1973年5月30日
千葉市中央三丁目一二番一五号
原告
野本富美子
右訴訟代理人弁護士
大島重夫
同市新宿町二丁目二〇八番地
被告
千葉税務署長
荒木政之丞
右訴訟代理人弁護士
真知稔
右指定代理人
神沢明
同
白鳥庄一
同
高野利正
同
川越一郎
同
高木惣太郎
同
佐藤秀雄
右当事者間の所得税更正処分取消請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
(原告)
一、被告が昭和四二年一一月一六日付で原告の昭和三九年度分所得税についてした更正処分は、これを取消す。
二、訴訟費用は、被告の負担とする。
との判決。
(被告)
主文同旨の判決。
第二当事者の主張
(原告の請求原因)
一、原告は、昭和四〇年三月一五日、被告に対する原告の昭和三九年度分所得税の確定申告にあたり、譲渡所得金額を租税特別措置法(昭和四一年法律第三五号による改正前のもの、以下単に措置法という。)三五条を適用して一三、九四四、五九七円と算定し、不動産所得金額一、九五八、一一〇円と併せて右申告をし、申告納税額金七、二七五、九〇〇円を納入した。
ところが被告は、同四二年一一月一六日、譲渡所得金額について措置法三五条の適用を否認し、譲渡所得金額を二九、二五八、二六三円、所得税額を一六、二九八、〇〇〇円とする更正処分(以下、本件更正処分という。)および過少申告加算税四五一、一〇〇円の賦課決定をした。
そこで、原告は右更正処分を不服として同四二年一二月七日被告に対し異議申立をしたところ、右申立は同四三年二月一〇日棄却され、原告はさらに同年三月九日東京国税局長に対し審査請求したが、同四五年一月二四日右審査請求を棄却する旨の裁決がなされ、右裁決書謄本は同年二月二日原告に送達された。
二、しかしながら、本件更正処分は以下に述べるとおり措置法三五条の適用を誤つたものであつて違法である。すなわち
1 原告は、昭和三九年三月二八日訴外株式会社奈良屋(以下、訴外奈良屋という。)に対し、自己の所有していた千葉市吾妻町二丁目一九番四宅地三五八・四四平行米のうち一六〇・〇六平方米を代金六二、一五〇、〇〇〇円で譲渡し、同年七月一五日、訴外千葉みずしま株式会社(以下、訴外みずしまという。)から同市吾妻町二丁目一四二番宅地一五〇・四一平方米および同所一四三番一宅地一七一・九〇平方米(以下、両者合わせて本件土地という。)ならびに同所一四二番地(新住居表示は原告の肩書地記載のとおり)家屋番号同町一四二番木造亜鉛メツキ鋼板瓦交葺二階建事務所兼居宅床面積一階一八五・一二平方米二階七四・九〇平方米(以下、本件家屋という。)を代金三二、二二四、〇〇〇円で購入した。
2 原告は同年八月初頭本件家屋に単身入居したが、配電は前の所有者により止められていたので、夏のことでもあり、また以前に漏電事故にあつて苦い経験をしたこともあつたので、取り敢えず夜電燈のつかないまま寝泊りし、その後は後述のような事情のため、結局昭和四二年六月まで配電を受けなかつた。
そして、原告は本件家屋を居住の用に一層適するように建て替えるつもりで、右入居直後に、解体した前の住居の家屋(建築後二、三年しか経つていなかつたもの)の木材等を本件土地内に搬入し、不足の木材その他の資材はあらたに購入する計画をたてていたが、後述のように原告の母野本かつが病気になつたことと、本件更正処分による税金納付によつて資金が不足するに至つたため、右建て替えは実現しないまま今日に至つている。
また、原告は、本件家屋入居と前後して、千葉電報電話局に対しかつ名義で電話架設の申込をし、昭和三九年八月一八日、千葉二局(現在は二二局)四二七三番の電話が本件家屋に架設された。この電話は、以後引続いてかつ名義のまま存在しその間局預けにしたようなことは一度もない。
3 ところが、同年八月八日、当時千葉市松波町三丁目一番二号に住んでいたかつが胆のう炎で倒れ、原告はその看病のため同月一五日ごろまでは本件家屋に寝泊りするのが一日おきくらいになつてしまい、さらにその後は、歩くことのできないかつの世話をするため、やむをえず前記かつの家に起居するようになつた。当時、原告の兄姉は、それぞれすでに結婚して他所に独立の世帯を持つており、他には中学三年の弟がいるだけであつたので、独身の原告がかつの面倒を見なければならなかつたのである。
もつとも、原告は、この間本件家屋に泊らなかつたとは言つても、昼間一日おきくらいには様子を見に行つており、かつの健康が回復すれば本件家屋に戻るつもりであつたので、昭和三九年一〇月には、住民登録を千葉市吾妻町二丁目一九番地から肩書地に移した。
4 かつは、病状が一進一退で、発病後昭和三九年一二月九日までは千葉大学医学部付属病院に通院して治療し以後は自宅で療養につとめ、同四二年二月一〇日から同年四月二日までは厚生年金湯河原整形外科病院に入院し、その後また自宅に戻つて療養したが、同年一〇月一一日容態が悪化してついに死去した。
なお同女は、その間の同四〇年七月ころ千葉市弁天町二九四番地に家屋を新築し、そのころ同所に転居していた。
原告は、母の死後後片づけなどのために暫く母の家に起居したが、間もなく本件家屋に戻り以後同所において生活しているものである。
5 原告は、昭和三九年九月より現在に至るまで、肩書地を住所として選挙人名簿に登録されており、所轄警察の戸口調査には居住の事実が記載されており、また各種の郵便物も肩書地宛に送られて来ている。
6 以上の次第で、原告は、本件家屋取得後単身入居し、その後母の看病のためやむをえず母の家に起居したものの、前述の事実から明らかなように、原告自身の生活の本拠は本件土地および家屋に置いたものであり、その取得の日から一年以内にこれを居住の用に供したものであると同時に、右期間内に居住の用に供さなくなつたものではない。措置法三五条の規定の適用に際し、土地または建物を居住の用に供したか否かを決するに当つては、単に本人がその場所にいたか否かというようないわば物理的な状況だけで判断すべきではなく、客観的に諸般の事情から考えて本人がそこに生活の本拠を置いたと考えられるか否かで判断すべきことは当然の理である。
7 したがつて、本件においては当然措置法三五条の適用が認められるべきであるにかかわらず、その適用を否認した本件更正処分は違法である。
三、よつて本件更正処分の取消を求める。
(被告の答弁および主張)
一、請求原因一の事実は全部認める。
二、同二の本件更正処分は違法であるとの主張は争う。
同二の1事実は認める。ただし、本件家屋は登記簿上「事務所兼居宅」となつているが、原告の取得当時は事務所兼作業所として使用されていたものであり、また本件土地家屋の取得価額は原告の確定申告によると三二、四四九、一九〇円となつている。
同二の2の事実のうち、昭和四二年六月頃まで電気が切つてあつたこと、本件建物の建て替えがないまま今日に至つていること、ならびに同三九年八月二八日原告の母野本かつ名義で千葉二局四、二七三番の電話が本件家屋に架設されたことは認めるが、前の所有者が電気を切つたことおよび原告が以前に漏電事故にあつて苦い経験をしたことがあつたことについては不知、その余の事実は争う。
同二の3の事実のうち、原告が昭和三九年一〇月住民登録を千葉市吾妻町二丁目一九番地から同町二丁目一四二番地に移したことおよびかつの家に起居していたことは認めるが、同三九年八月八日かつが胆のう炎で倒れたことおよび原告の兄姉は、それぞれ他所に独立の世帯を持つており、独身の原告が母の面倒を見なければならなかつたことについては不知、その余の事実は争う。
同二の4の事実のうち、かつが昭和四〇年七月ころ、千葉市弁天町二九四番地に家屋を新築し、そのころ同所に転居したことは認めるが、かつの療養経過および死亡日時は不知、その余の事実は争う。
同二の5の事実のうち、郵便物の一部が肩書地宛に送られて来ていたことは認めるが、その余の事実は不知。
同二の6および7の事実および主張は争う。
三、本件更正処分は、以下に述べるとおり適法である。すなわち
1 措置法三五条一項によれば、同条の適用を受けるためには、買換資産取得の日から一年以内に居住の用に供した場合または供する見込であることを要するところ被告の調査によれば、つぎのような事情により、原告が本件土地家屋を居住の用に供し、または供する見込みがあつたとは認められなかつたものである。
(一) 原告が取得した本件土地家屋は千葉市内の商業地帯に所在し、前所有者訴外千葉みずしま(現在の商号は千葉三菱コルト自動車販売株式会社)が自動車の販売および修理の業務のために利用していた土地、建物であつてもともと前所有者においても居住の用に供していなかつたものであり、その建物の内部構造は、いわゆる修理工場で通常の住宅とはいちじるしく状況を異にし、根本的に大改造を加えるのでなければとうてい居住の用に供しうる建物ではなく、また原告においてこれを居住に適するものに改築するなどした形跡も、具体的にその改造工場等につき計画を立てた事実も存しないこと。
(二) かつは、原告と同居していた千葉市吾妻町二丁目一九番三所在の家屋をとりこわしたうえ、その宅地を原告と同時期に譲渡し、その後住宅地域である同市弁天町二九四番地に居住用家屋を建築したことにより同女の昭和三九年度分所得税につき措置法三五条、三八条の二の規定の適用を認容されているところ、右新家屋は、とりこわした旧家屋の五倍以上の床面積(一九一・〇五平方メートル)があり、その室数も七室で、原告等三人家族(原告・母・弟)が居住するのに十分な広さであり、原告がさらに右家族と別居してまで本件家屋等を居住用に取得しなければならない特段の事情があつたとは認め難いこと。
(三) 被告が所属の係官をして昭和四二年六月一六日および同月二一日の両日本件土地家屋の利用状況を現地において調査したが、いつも入口の鉄製シヤツターが閉められたままで原告は不在であり、近隣の者から事情を聴取したところでも原告が本件家屋に居住している事実はなく、却つて原告自身も同所に居住していないことを理由に町会費の支払いを拒絶した事実があること。
(四) 訴外東京電力株式会社千葉支店を調査したところ、本件家屋等には、昭和三九年九月一日から同四二年六月一六日までの間電力が供給停止となつており、その後同四二年六月一七日に電力使用について再点手続がとられているが、同三九年九月一日から同四三年三月までの三年七か月もの間電力消費が全くなされていないこと。
さらに、千葉県水道局千葉営業所において水道の使用状況を調査したところ、同三九年九月一日から同四三年一月までの三年五か月(同四〇年二月一一日から同四二年六月一六日までの間は供給停止)間は全く水道が使われていないこと。
(五) 本件家屋には、昭和三九年八月一八日従前かつの居宅にあつた同女名義の電話(千葉二二局四二七三番)が移設されているが、その使用状況をみると、右敷設日から同四二年一二月三一日までの約三年四か月間の通話数はわずかに一四回にすぎず、ほとんど不使用のまま放置されていたこと。
なお、原告は前記千葉市弁天町二九四番地所在のかつ所有家屋に原告名で千葉五一局七六六三番の電話を設置しているが、同四〇年一月から同四四年一一月までの間における当該電話の使用料金(度数料)からみたその通話数は、月平均八五通話に達しており、最も多い月で同四三年五月分の三〇七通話、最も少ない月でも同四一年六月分の一〇通話であること。
(六) 本件家屋のうち二階の事務室あとの板張りの一部にビニール製カーペツトが敷かれ、若干の家具類がおかれていることが本件検証時に確認されたが、それがいつ搬入されたものであるか必ずしも明らかでないうえ、いつでも容易にとり外し、移動することの可能なものばかりであり、居住をみせかけるため一時的に設備された疑いがあるのみならず、本件家屋の内部構造と現実の利用状況からみて、原告が本件家屋等を居住の用に供していたとは常識的にも考えられないこと。
(七) 原告は、かつが病気のために本件家屋等を居住の用に供することができなかつたものであると主張するが、生活を共にしていた老母であれば、常に健康状態についても認識があつたはずであるにもかかわらず、不服審査当時の調査においても、原告は昭和三九年一二月一〇日以降約二年間の病状の詳細を何ら明らかにせず、またこれを明らかにする資料も提出しなかつたこと。
(八) なお原告は、本件家屋を昭和三九年八月初頭に引渡を受けて単身入居し居住の用に供していたと主張するけれども、原告が本件土地家屋の売買代金の支払い、および所有権移転登記を完了したのは同月三一日であり、同家屋の水道・電気の使用名義人を前使用者から原告に変更(乙第四号証の一、同第五号証の一)したのは同年九月一日であつて、これらの事実からすると、原告が訴外千葉みずしまから現実に本件家屋等の引渡しを受けたのが同年八月三一日であることは明白であること。
2 そこで被告は、原告の昭和三九年度分譲渡所得の金額を、原告が所有していた千葉市吾妻町二丁目一九番四の宅地一六〇・〇六平方メートルの譲渡に係る収入金額六二、一五〇、〇〇〇円から取得費三、四八三、四七三円を控除し、その残額から譲渡所得等の特別控除額(当時適用の所得税法九条一項による。)一五〇、〇〇〇円を控除した金額の一〇分の五(同法同条同項による。)に相当する金額二九、二五八、二六三円と算出し、措置法三五条を適用して算出した原告の確定申告額を原告主張のとおり更正したものであり、本件更正処分は適法である。
第三証拠関係
(原告)
一、甲第一ないし第四号証、第五号証の一ないし三、第六号証の一ないし四、第七号証の一ないし二七、第八ないし第二二号証を提出。
二、証人長島恵美子、同金井三郎の各証言、原告本人尋問ならびに検証の各結果を援用。
三、乙第一〇号証中の東京国税局長作成部分の成立および乙第一一号証、第一二号証の一、二、第一三号証の各成立は認めるが、乙第一〇号証中のその余の部分の成立およびその余の乙号各証の成立は不知。
(被告)
一、乙第一ないし第六号証の各一、二、第七号証の一ないし三、第八ないし第一一号証、第一二号証の一、二、第一三、第一四号証を提出。
二、証人中村誠司、同川口義和、同小川健の各証言を援用。
三、甲第一、第三、第四号証、第七号証の一ないし二七、第八、第一七ないし第一九号証の各成立は不知、その余の甲号各証の成立は認める。
理由
一、請求原因一の事実は当事者間に争いがない。
二、そこで、原告の昭和三九年度分譲渡所得金額の算定につき措置法三五条(住居用財産の買換えの場合の譲渡所得金額計算の特例)の適用を否認した本件更正処分の当否について判断する。
1 原告が昭和三九年三月二八日訴外奈良屋に対し、自己の所有していた千葉市吾妻町二丁目一九番四宅地三五八・四四平方米のうち一六〇・〇六平方米を代金六二、一五〇、〇〇〇円で売渡し、次いで同年七月一五日、訴外千葉みずしまから本件土地および家屋を代金三二、二二四、〇〇〇円で買受けたことは当事者間に争いがない。
2 措置法三五条の規定は、原告が本件土地家屋を、その取得の日から一年以内にその住居の用に供した場合(当該期間内に住居の用に供さなくなつた場合を除く。)または供する見込みである場合に適用があるところ、成立に争いのない甲第一二ないし第一五、第二〇ないし二二号証、乙第一一号証、第一二号証の一、二、第一三号証、原告本人尋問の結果により成立を認めることができる甲第一、第三、第四号証、証人中村誠司の証言により成立を認めることができる乙第一ないし第六号証の各一、二、証人小川健の証言により成立を認めることができる乙第七号証の一ないし三、第八、第九、第一四号証、東京国税局長作成部分については当事者間に争いがなく、その余の部分については証人小川健の証言により成立を認めることができる乙第一〇号証、証人川口義和、同中村誠司、同小川健の各証言、原告本人尋問(後記信用しない部分を除く。)および検証の各結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。
(一) 本件土地家屋は、千葉市内の通称銀座通りといわれる繁華街に近接し、車両の交通量は少くないがアーケード設備を施した商店街に面しており、相続税財産評価基準の地区区分に従えば高度商業地区に所在すること
(二) 本件家屋は登記簿上事務所兼居宅となつているが、一階(一八五・一二平方米)はその八割方がコンクリート敷の土間となつていてその部分は工場のような内部構造を呈し、一階の残りの部分と二階(七四・九〇平方米)は一見事務所風の構造となつており、前所有者の訴外千葉みずしまも、右コンクリート敷部分を自動車の修理工場あるいは展示場として、他の部分を事務所として使用していたものであり、通常の住宅とは著しく趣を異にすること
(三) 原告は、昭和三九年八月三一日訴外千葉みずしまから本件土地家屋の引渡を受けたが、同居していた実母かつは当時七〇才の老令でしかも胆のう炎のため通院治療しており(その後入院治療もする。)、また弟和美(当時一五才)は末だ若年であつたため、かつの看病やその身の回りの世話をする必要から同女らと起居を共にし、同女の死後(同四二年一〇月一一日死亡)の同四三年三月ころまでは、本件家屋を時折り見回りその折りに宿泊する程度でこれを日常の寝食の場として利用したことはなかつたこと(同三九年八月三一日ころからかつの死後しばらくの間原告が同女の家に起居していたことは当事者間に争いがない。)、原告は、訴外奈良屋へ前記土地を譲渡するまで、かつと和美の三人でかつが原告と同時期に右訴外会社に売渡した千葉市吾妻町二丁目一九番三宅地上に所在するかつの所有家屋(以下、吾妻町の旧家屋という。)に居住していたが、右宅地を譲渡するのに伴い右家屋をとりこわすことになつて一家は同市松波町三丁目一二番二号の和美の実父泉水幸七方に転居し、次いで昭和四〇年七月ころ、かつが同市弁天町二九四番地一に木造瓦葺二階建居宅(一階一五一・三二平方米、二階三九・七三平方米、以下弁天町の新家屋という。)を新築したのでそのころ同所に移り住んだこと
(四) しかして本件家屋においては、その引渡を受けた日の翌日である昭和三九年九月一日から同四三年三月までの三年七ケ月の間電力消費は全くなされておらず、しかもその間の同三九年九月一日から同四二年六月一六日までは電力が供給停止となつており(電力が供給停止となつていたことは当事者間に争いがない。)、水道も同三九年九月一日から同四三年一月までの三年五ケ月もの間使用された記録がなく、その間の同四〇年二月一一日から同四二年六月一六日までの間はこれも供給停止となつていること、また同三九年八月一八日、吾妻町の旧家屋に架設されていた同女名義の電話(千葉二二局二七三番)が本件家屋に移設されているが(この点は当事者間に争いがない。)、右移設の日から同四二年一二月三一日までの間の右電話の通話数は一〇数話にすぎず、これに反し弁天町の新家屋に架設されている原告名義の電話(千葉五一局七六六三番)の通話数は月平均八五通話に達していること
(五) かつは、弁天町に新家屋を新築し居住用財産を取得したことにより、同女の昭和三九年分所得税につき措置法三五条、三八条の二の規定の適用を受け課税の特例を認められているが、右建物は吾妻町の旧家屋の五倍以上の床面積(一九一・〇五平方米)があり、室数も七室で原告を含めた家族三人が居住するのに十分な広さであるし、また原告は前記の如くもともとかつや和美と同居していたものであるうえ、かつはすでに高令、和美は原告の扶養家族であつたものであり、原告がかつと別個に居住用家屋を取得しなければならない必要性は殆んどなかつたこと(原告本人尋問の結果によると、訴外奈良屋へ土地を売却する問題で原告とかつの間にいざこざがあつたことが認められるが、それも別居生活をしなければならないほどの深刻なものであつたとは認め難い。)
(六) 原告は、一方では本件更正処分に基づく所得税の納付前である昭和四一年一二月ころ転売目的で新たに土地を購入しているが、本件家屋の改築等については、本件家屋内に吾妻町の旧家屋を解体した古材を運び込んでいるが、これまで具体的にその計画を立てたことはなく(原告本人は、右古材を利用し本件家屋を改築する計画であつたがかつの病気と税金納付による資金不足のため実現できなかつたものである旨供述するけれども、かつ自身前記の如く弁天町に家屋を新築しており、また原告も土地を新たに購入しているほどであるから右供述はにわかに措信できない)、当裁判所が昭和四七年二月二五日実施した検証時においても、本件家屋の二階の一部に応急的と思われる程度の内装工事を施しているだけであり、原告はその部分に寝具その他僅かな調度品を置いて生活の場としていること、一方かつ死亡により、弁天町の新家屋を原告が相続したが、同家屋には現在和美一人が居住しているにすぎないこと
(七) 原告は、銀行や水道局に対する原告の連絡先を弁天町の新家屋としており、また昭和四三年ころまでは本件家屋所在地の町内会費を支払わなかつたこと
(八) 原告は、本件税金問題が解決した暁に、本件土地家屋を他に賃貸し賃料収入を得て借財の返済にあてようとした形跡もあること
以上の事実が認められ、右認定に反する甲第一九号証の記載、証人長島恵美子の証言ならびに原告本人尋問の結果は、前掲諸証拠ならびに右認定の事実と対比したやすく信用することができず、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
右事実によれば、原告は、その昭和三九年度分所得税の確定申告において、取得居住用財産として申告した本件土地家屋をその取得後一年以内に居住の用に供した事実はなく、ただ時折り見回つたり時に宿泊することがあつたというにすぎず、原告が居住の用に供したのは吾妻町の旧家屋から転居後昭和四〇年七月ころまでは千葉市松波町三丁目一二番二号の訴外泉水幸七所有家屋、それ以降は弁天町の新家屋であり、本件土地家屋をその取得後一年以内に居住の用に供する見込みもまたなかつたものと認めるのが相当である。
原告は、原告が本件土地家屋を居住の用に供さなかつたのは実母かつの看病という止むを得ない事情によるものであると主張するけれども、前認定の事実に照らすと、右事情のみによるものとは認め難く、右主張は採用できない。
また、住民登録が昭和三九年一〇月千葉市吾妻町二丁目一九番地から本件土地家屋の所在する同市中央三丁目一二番一五号(新居住表示による)に移されていること、および原告に対する郵便物の一部が本件家屋所在地宛に配達されていることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第五号証の一ないし三、第六号証の一ないし四、原告本人尋問の結果により成立を認めることができる甲第七号証の一ないし二七、第一八号証ならびに右本人尋問の結果によれば、原告は本件家屋の水道料金(ただし、前認定によれば昭和四三年一月ころまでは基本料金のみ)、電話料金および本件家屋の面するアーケードの外灯代分担金(ただし、昭和四〇年初めころから)を支払つていることが認められるが、措置法三五条の規定の趣旨目的からすれば、居住の用に供したか否かは現実の利用関係等に照らし実質的に判断すべき事柄であるから、右事実だけでは前認定判断の妨げとなるものではない。
3 そうすると、措置法三五条の適用を否認した本件更正処分には原告主張のような違法の瑕疵はなく、右処分は適法であるといわなければならない。
三、よつて原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡辺桂二 裁判官 佐々木寅男 裁判官鈴木禧八は退官のため署名捺印できない。裁判長裁判官 渡辺桂二)